3分でわかる藤島武二(人から分かる3分美術史152)

3分でわかる藤島武二(人から分かる3分美術史152)

明治から昭和初期にかけての画家であり、洋画の重鎮として知られる藤島武二を紹介します。

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こんにちは。人から分かる3分美術史。
今日は藤島武二について勉強していきましょう。

藤島武二。1867年生まれ。明治から昭和初期にかけての画家であり、洋画の重鎮として知られます。

藤島は、明治元年を翌年に控えた慶応3年に、薩摩藩士の家系に生まれました。
藤島が8歳の頃には父親が死去。10歳の頃には西南戦争が勃発し、藤島家は西郷隆盛率いる士族側に参加。藤島の兄たちが多く戦死しました。
藤島は幼い頃より絵に興味を持ち、15歳ごろには四条派の画家である平山東岳に学びました。
はじめ洋画家を志しますが、当時はアーネスト・フェノロサらの活動によって国粋主義が活発となった時期であり、洋画家への道は閉ざされていました。そのため藤島は18歳で上京すると、円山派の画家であり、洋画の心得もあった川端玉章に入門。日本画家としてキャリアをはじめることとなります。
日本画家の頃の藤島の作品は、ほとんど残っていません。
次第に洋画の復権が進んでくると、藤島は曽山幸彦、松岡寿、山本芳翠らに学んで洋画家に転向します。
その頃の作品として知られるのが「桜の美人」。1893年、藤島26歳ごろの作品です。
若くして、優れた洋画家として知られるようになった藤島は、29歳のおり、黒田清輝の誘いで東京美術学校の西洋画学科の立ち上げに参加。助教授に就任します。
それ以後の藤島は、次第に日本の洋画壇の中心人物の一人として、存在感を高めていくこととなります。

藤島の作品を見ていきましょう。

「池畔納涼」。1898年、藤島31歳ごろの作品です。黒田率いる外光派風の色彩となっています。
「蝶」。1904年、藤島37歳ごろの作品であり、アール・ヌーヴォー調の装飾的な画面となっています。
「東洋振り」。1924年、藤島57歳ごろの作品です。

藤島は1943年に75歳で亡くなります。それまで岡田三郎助や和田英作らとともに日本の洋画壇の指導者として活動を続けました。現在においても、明治から昭和初期を代表する洋画家の一人として知られています。

以上!

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